父が少しずつ弱ってきた頃から、カメラを持って父のところへ行くようになりました。
まだかろうじて自分で立ったり、動いたりできていた頃。
特別な記念日だったわけでもなく、何かイベントがあったわけでもありません。
父が笑っているところ。
ごはんを食べているところ。
家族と過ごしているところ。
そんな、何気ない日常の写真です。
「今の父を残しておきたい」
そう思って撮り始めた写真でした。
それから約3か月後、父は亡くなりました。
まさか、そのとき撮っていた写真を、お葬式で飾ることになるとは思っていませんでした。
父の写真を飾る場所を作ることに
お葬式では、遺影とは別に、父の写真を飾る小さなブースを作ることにしました。
用意できる写真は、ここ数ヶ月に撮ったものが中心。
昔の写真をたくさん持っていたわけではありません。
でも、写真を見返していると、
「この写真、父らしいな」
「このとき、こんな顔してたな」
と、いろいろなことを思い出しました。
そこで、10枚ほどの写真を選んで飾ることにしました。
今回選んだのは、父が笑っている写真や、何かを食べている写真。
まだ自分で動くことができていた頃の、日常の父の姿です。
どれも特別な記念写真ではありません。
でも、並べてみると、そこにいるのは、私たちが知っている父でした。
写真の上にマグネットを置きたくなかった
今回利用した葬儀場の写真を飾るスペースは、マグネット式になっていました。
葬儀場からは、写真を貼って、その上からマグネットで押さえる方法で展示できると説明してもらいました。
でも、私は写真の上にマグネットが乗るのが嫌でした。
せっかく父の写真をきれいにプリントするのだから、できるだけ写真そのものをすっきり見せたい。
そこで、写真を1枚ずつパネルにすることにしました。
使ったのは、
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写真
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ハレパネ
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マグネットシート
写真をハレパネに貼り、その裏側にマグネットシートを貼ります。
つまり、
写真 → ハレパネ → マグネットシート
という簡単なパネルを、写真1枚ずつ作りました。
これなら表側には何も乗らないので、写真をそのまま見てもらえます。
マグネットシートはダイソーで購入。
ハレパネはホームセンターなどでも購入できますが、私は普段の撮影でも使っているため、今回はスタジオにあったものを使いました。
写真のプリントはカメラのキタムラで
父が亡くなってから通夜までは、あまり時間がありませんでした。
写真を選んで、プリントして、パネルを作って……。
ゆっくり準備している余裕はありません。
そこで利用したのが、カメラのキタムラの店頭プリントでした。
データを持って店舗へ行き、写真を選んで注文。
すると、15分ほどでプリントが仕上がりました。
これは本当に助かりました。
プリントした写真を持ち帰って、そこから1枚ずつハレパネに貼り、裏側にマグネットシートを貼っていきました。
亡くなってから通夜までの短い時間で、よくやったなと思います。
完成した写真ブース

葬儀場の決められたスペースを使っているので、自由に展示できたわけではありません。
それでも、1枚ずつパネルにしたことで、写真がすっきりと並び、思っていたよりもいい雰囲気に仕上がりました。
写真だけでなく、父が使っていたものなども一緒に置きました。
遺影とはまた違う、父を身近に感じてもらえるようなスペースになったと思います。
母が「これがお父さんだね」と言ってくれた
完成した写真を見て、母が、
「これがお父さんだね」
と言ってくれました。
その言葉が、とても印象に残っています。
きれいに飾ることができたから嬉しかった、というより、
写真の中にいる父を見て、母が「父らしさ」を感じてくれたことが嬉しかった。
写真を撮っておいてよかった。
そう思いました。
葬儀のために撮っていたわけじゃなかった
3か月前、父が弱ってきたからとカメラを持って会いに行ったときは、その写真をお葬式で飾ることになるなんて考えていませんでした。
ただ、今の父を残しておきたかった。
それだけでした。
だから、昔の写真がたくさんあったわけではありません。
でも、結果的には、その3か月の写真が、父との最後の時間を残してくれました。
父が笑っている写真。
ごはんを食べている写真。
何気ない日常の写真。
そんな写真を並べることで、最後のお別れの場所にも、少しだけ「いつもの父」がいてくれたような気がします。
写真を撮っておいてよかった
写真は、その瞬間を残すだけではなくて、あとからその人との時間を連れてきてくれるものなのかもしれません。
父が弱ってきたとき、カメラを持って会いに行ってよかった。
あのとき撮った写真が、今では父との最後の3か月を残す、大切な記録になっています。
そして、母の
「これがお父さんだね」
という言葉も、きっと忘れないと思います。
葬儀のために撮った写真ではなかったけれど、結果的に父との最後の時間を、写真という形で残すことができました。




